日曜日, 1月 07, 2007

私の改宗の話

これは、この英文投稿の日本語訳です。

11月の18日には、聖霊の印章をもらって、ただ一つの、神聖な、カトッリクの、使徒的な教会に入門しました。 その教会は、「ナイシーン・クリード」と言う信条で書いてあるの教会で、キリスト自ら聖ペトロと建てた教会です。 イエスキリストは聖ペトロに「この岩の上に私の教会を建てる、そして、その教会は地獄に負けない」と言いました。かれが言っていた教会はカトリックのだと私は信じるようになりました。

私は、保守的な改革派の長老教会のPCA(Presbyterian Church of America)で育ちました。 子供の時、聖書や宗教改革の教えを詳しく教えられました。決して質問はしなかったです。けれども、15歳の時、いろんな事があったので、神様の教えに心身を打ち込む、一生懸命聖書を勉強して神様に近づいて頑張る事にしました。 毎日数時間時間を割いて、6・7ヶ月間で聖書を全部読みました。ある本は何回も読みました。 

そのころ、説教していなかった説教師に出会いました。 彼は私にコーイネ・ギリシャ語を個人的に教えるのに同意してくれました。私は3、4ヶ月ぐらい聖書的なギリシャ語を勉強しました。 主の祈りの最後に:「国と力と栄えは限りなく、何時のものなればなり」という文はオリジナルの聖書のイギリス語にはなかったので、それを初めて習った時、本当に考え始めました。それがオリジナルでなかったにしても、新教の聖書に含まれていました。私はずっと今まで正しくない事に信じてたかな?と思うようになりました。一方、彼らは「聖書はとても神聖なものなので、わずかなものさえ変えない」と言うことのように振りしてました。まだ、他方でわざと聖書に正しくない文章を入れました!私はギリシャ語の初心者だけであったにもかかわらず、 英語とギリシャ語の違いを気がつきました。 私は、「その違いは言語学でなく、人の意見に基づいている」と思もいます。

そして、私は聖書を読みながら、当たり前のように教えられて来た教えが聖書の中で見つけられないことがわかるようになりました。「ソーら・
スクリプチャ-(聖書だけ)」に対する皮肉な事は、いくつかの新教の教えも聖書の中にはない事です。 その時から、10年間ぐらい不満を感じて、聖書やギリシャ語を勉強するのをやめました。 当時、私は少し幻滅して感じてました。

その後、大昔の教父たちの文書を見つけました。初めに読んだのは聖ポーリかルプのフィリピ人への手紙でした。彼の知恵を読んで、私はびっくりしました。そして、彼の手紙が2世紀の初めごろ書かれたものなのに、何で聖書の中に入っていないのかなと思いました。その頃、私は聖書のカノンを研究しはじめました (その時まで、あまりカノンについて考えることはなかった」。 カノンが教会の数会議の結果であるとは知っておくべきでした。

新教集団のはほとんど私の聖書についての質問「神様が聖書を書いた?」を答えれませんでした。私は有数な新教の弁証者へ手紙も書きました。 わざわざ、議論や弁証論をさがしたりもしました。けれども、それらは皆弱点がありました。 実は、その弁証者は他にすごく頭がいい人みたいに見えるにもかかわらず、この話題に関しては馬鹿に見えましたので私はびっくりしました。 当時、「ソーら・スクリプトーラ」が私にとってはとても根深い信念であったので、使徒継承と言う教えが325年のニカイアで開催された教会の会議の結論であったとは思いもしませんでした

もちろんだれも質問がある16歳の人を気にしないので、私の質問に答えることはありませんでした。ですから、私は教会に憤りを感じました。 (当時はわからなかったのですが、その教会は本物の教会ではなかったのです。その教会は異端者に始められた教会でした) それから数年間教会に全然参加するのは止めました。 神様の恩恵がもうあったとは感じていたですが教会は間違いと思ったので個人的に自分と神様の関係を探していると感じました。

結局、この高慢な態度をやめました。 まず、1年間ぐらい私に会う教会を探すために「チャーチ・ホピング」をしました。(それは、いろいろな教会に行って見るが、ただ一つの教会を選ばないことです)。 私に会う教会を探しにくそうでしたので、とうとう好きな教会に行く事に決めました。 その教会が教えていることは私の考えとはたくさん相違があったにも関わらず、この教会に参加するのは教会に参加しないことよりいいと感じました。「当時、私はまだカトリック教会の教えを誤解していたので、全然カトリック教会に参加できないと思っていました」 ですから、私が子供の時に通った教会に10ヶ月ぐらい参加しました。

私は数年間新教の教えやそういうカジュアルの教会サービスといらいらして、カトリック教会に行って見ようと思いました。まず、その考え方は少し新教のようでした。私は個人的な聖書の解釈が優先すべきことだと信じていました。もし自分の教会が嫌いだったりか教会の教えと異なれば、ただ他の教会へ行けばいいと思ってました。 ですから、そうしました。

運良く、私はキリストの本物の教会を見つけました。もちろん、それは偶然な事ではなかったのです。私がはじめての参加したミサは同僚 のご主人の葬式でした。直ちに、私は新教の教会と大きな違いを見つけました。その教会に参加したかったです。

まず、私は私が好きな事(典礼、尊敬、相互作用)があるなのでこの教会を選んだと思っていましたが、もっと勉強すると、もっとこの教会が本格的なものだと言う事が分かってきました。RCIA(カトリック教への改宗するためのクラス)で会った友達の際でもっと勉強したいようになりました。私たちはお互いに励ましあいながら、大昔の教父たちの文書を読みました。

私の友達のジョー氏は、2005のクリスマスごろ、聖餐と全質化の関係の教父たちが書いたものを印刷してくれました。 その時まで、全質化と言う教えが理にかなわない教えだと思ってました。(思い出してください:私はただRCIAにいたの理由がソーラ・スクリプトーラのいらいらしたことだけです) やがて、私はソーラ・フィーデ(信じだけ)と言う教えも明らかに異端だとそれが聖書も教会の伝統が反対だとは分かってきました。 前述の文書を読んで、早い教会の父たちは全質化を確認するだけでなく、全質化の却下も異端だと見なしたとは習ってきました。ですから、大昔教会は今日のカトリック教会と同じように信じた事をわかりました!あと、ほとんどのカトリックの教えは同じだと習ってきました。

以前、使徒承継の教えは私にとって大切事じゃなかったです。(そして、新教徒だった時、それは馬鹿な教えのように思えました。)けれども、突然私にとって理にかなうようになりました。私はもっとたくさん習いたくなりました。とうとう私は、聖霊からの刺激を受けて傲慢にならないようになりました。 以前私が聖書と神学に詳しく人だと思っていましたが、今はえらい教父たちと比べると、全然詳しくなかったと分かってきました。その教父たちの教えはその当時までに隠されてきたように感じました。その後数ヶ月間教父たちの文書を読み続けました。例えば、聖ジョン・クリーソストムや聖イレナエウス、や聖クリーメントなどです。 今まで私は本物の教会の歴史をすごくたくさん習ってきました。もちろん、まだ習わなければならないことがたくさんあります。

ですから、カトッリク教の教えを学び始めた時、私はあまり謙遜じゃなかったにもかかわらず、現在、カトリック教の教えが丸ごと信じるようになって、私が本当にカトリック教徒になったと感じます!聖ジョンや聖ポリュカルポや聖ペトロの教会を参加して私は幸せです。思い出してください、聖ポリュカルぽの文書は私が初めて読んだ教父の文書でした。 そして、私はかれを保護聖人に選びました。 ここにクリックしたら、私のポーリカルプの講演を読めます。

纏めると、もしキリスト教といらいらしたら、オリジナルの使徒継承をした教会に行ってみて下さい。使徒継承について何を信じるにもかかわらず、イエスキリストは本当に聖ペトロに「あなたはペトロだし、私はこのの上に私の教会を立てる」と言いました。聖ペトロはローマの一番の司教でした。ローマ教会はまだに世界中で最も大きなキリスト教の教会です(二番目に大きい教会は近くありません)。ローマ教会の教えはとても聖書的だと言えます。現在でも、本来的であると言えます。 それから、確かにカトリック教会は本物だと言えます。

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