土曜日, 1月 13, 2007

科学や近代主義の影響で、宗教に対しての信仰が弱まったでしょうか?

これはこの英文投稿の日本語訳です。

[神様は勝っている」と言う記事を読んで、ずっと前から書きたいものを思い出しました。その記事には、科学や近代主義の発達にもかかわらず、宗教は栄え続けると言う事が書かれてありました。 その記事と私が読んだ他の記事によれば、現在の有神論社の人数のほうが100年前の人数より多いです。(均等割りによる)。 そして、その記事によれば、2025年までに、地球の人口の7割は世界三大宗教(キリスト教、イスラム教、ヒンズー教)の一つを選び、その教徒になるそうです。 今はもう64パーセントぐらいがそれらの教徒になっています。

ある人は、宗教は教育がない人や貧乏な人のためだけだと言いますが、その考えはどう正しいでしょうか?
多くの国にとって、貧困は、まだ重要な問題だが、人は以前より経済的によいほうと言えます。けれども、地球の人口は豊かになり、教育が広がっても、人は神様を忘れていないのです。 中国の経済が急速に拡大しながら、宗教への信仰も強くねっていると言う事はいい例です。

無神論社は、「啓蒙運動の後、人が宗教が迷信だけだと言うことを信じるようになった」とか、「真実を導く唯一の方法は、科学だけだと言うようになった」とか 信じる事が好きです。 けれども、この考え(無神論者の)は、「無神論は新しいことだ」とか、「無神論と科学は関係がある」と言ううそに基づいています。これらは、全然有効性がありません。前述の記事とや常識によれば、「無神論と科学の関係」と言う事は真実ではないのです。 しかも、「無神論は新しい事だ」ということが正しくないことについては、聖書の
愚か 者は 心の 中で, 「神はいない 」と 言っている(1)
と言う文に書かれています。また、知恵の書と言う聖書本の最初の章から二番目の章を読んでください。そこでは、ぴったり無神論の世界観の結論を説明しています。(それは2000年以上前に書かれたものです!)けれども、無神論者はその結論がある事を認めたくないです。

彼らはこう言い合うが、その考えは誤っている。「我々の一生は短く、労苦に満ちていて、人生の終わりには死に打ち勝つすべがない。我々の知るかぎり、陰府から戻って来た人はいない。我々は偶然に生まれ、死ねば、まるで存在しなかったかのようになる。鼻から出る息は煙にすぎず、人の考えは心臓の鼓動から出る火花にすぎない。我々の名は時とともに忘れられ、だれも我々の業を思い出してはくれない。我々の一生は薄れゆく雲のように過ぎ去り、霧のように散らされてしまう。太陽の光に押しのけられ、その熱に解かされてしまう。我々の年月は影のように過ぎ行き、死が迫るときには、手のつけようがない。死の刻印を押されたら、取り返しがつかない。
本当にその通りだと思います。 神がいないとしたら、私達の人生は無に等しくなるでしょう。

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